大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和40年(行ウ)66号 判決 1969年5月26日

原告

全逓信労働組合

都城市北諸県郡支部

右代表者

永野一満

右訴訟代理人

東城守一

外三名

被告

公共企業体等労働委員会

右代表者

兼子一

右指定代理人

峯村光郎

外四名

参加人

右代表者

西郷吉之助

右指定代理人

松崎康夫

外二名

主文

1  被告が昭和四〇年三月八日なした別紙命令書記載の命令中、安楽長信、松永義春、永窪芳照および岩元秀利が昭和三六年一一月二四日した組合休暇の請求に対する不承認、同年一二月八日服務表についての原告支部の団体交渉の申入に対する拒否がいずれも不当労働行為を構成しないとして、これらの点に関する原告の救済申立を棄却した部分を取り消す。

2  原告その余の請求を棄却する。

3  訴訟費用はこれを三分し、その二を原告、その余を被告の負担とする。

事実《省略》

理由

一原告の救済申立と被告の命令

原告の請求原因第一項の事実は当事者間に争いがない。

二組休(編注組合休暇の略称その意味は後述)の不許可について

1  豊満外二名の組休請求について

原告は豊満修、豊丸貞光および栗山吉則が昭和三六年一一月二四日か二五日頃口頭で所属長に組休の請求をしたと主張するが、これを認めるに足りる的確な証拠がない。<証拠判断省略>

その上<証拠>によると、右豊満外二名は口頭で組休の請求をしたというのであるが、成立に争いがない乙第二九号証(特に郵政省就業規則第二八条)によれば、同規則は組休の請求は書面によつてなされることを要求していることが認められるから、前掲各供述による「口頭の請求」も実際は組休が与えられるかどうかの瀬ぶみに過ぎないのではないかとも思われるが、仮に前記三名から口頭による組休の請求があつたとしても、右就業規則第二八条に照すと、当局がこれを承認しなかつたことには正当の理由があり、右不承認が組合活動の故による差別扱いとか組合活動に対する介入行為と見ることはできない。

注<省略>

2  組休に関する争いない事実と支部委員会の開催不能

以下の事実は、当事者間に争いがない。

(イ)  原告支部が昭和三六年一一月二〇日付で同年一一月二七日午前八時刑から年末闘争方針案等を議題とする(その余の議題は、参議院議員補欠選挙に関する件と労働金庫の預金協力の件であつた。<証拠判断省略>)第二四回支部委員会を開催することを告示したこと、(ロ)原告支部委員会は二四名の委員で構成され、大会に次ぐ決議機関であつて年二回定期的に開催されるものであること(前記一一月二七日の支部委員会は定期委員会である。<証拠判断省略>)(ハ)当時の都城局長神田三蔵は同年一一月二四日同局各課長に対し、この支部委員会は闘争を激化させるためのものであるから、議員がこれに出席するため年休又は組休を請求した場合これを承認しないように指示したこと、(ニ)同日原告支部委員会の委員栗山光雄および桑田金泰が同月二七日の年休の請求書を提出したところ、所属長は右支部委員会のためであることを確めて年休を承認しなかつたこと、(ホ)翌二五日同委員藤田正雄、同蓑原重夫および組合員今村征語が同月二七日の年休請求書を提出したところ、それぞれの所属長は後日支部委員会に出席したことが判明したときは年休を取り消す旨を述べてこれを承認したこと、(ヘ)同月二四日原告支部長安楽長信、書記長松永義春、青年部長永窪芳照および執行委員岩元秀利が同月二七日の組休の付与願を提出したところ、それぞれの所属長は闘争期間中は承認できない旨を右付与願に記載してこれを承認しなかつたこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

<証拠>によれば、前記不承認により同年一一月二七日の原告支部委員会は開催困難となり同年一二五日に変更されたことが認められ(右変更自体は当事者間に争いがない。)、右認定を左右するに足りる証拠はない。

3  組休に関する規則

<証拠>によると、昭和三六年頃は同年二月二〇日郵政省公達第一六号の就業規則の適用があり、同規則第二八条ないし第三〇条によると、同省職員は原則として(イ)組合の大会、会議に出席する場合、(ロ)その他組合の業務を行う場合、あらかじめ組合休暇付与願を提出して所属長の許可を受けたときは勤務時間中であつても、組合活動を行うことができるものと定められ、その期日は一時間又は一日を単位として引続き三〇日以内と定められ、その間は給与は支給されないものと定められていること、(ハ)右規則の運用について郵政省官房人事部長が同年五月二九日通達をもつて、許可の具体的基準を示し、その許可すべき場合の一例示として「中央本部、地方本部、地区本部、支部等の組合規約で定められている組合の議決機関(大会、中央委員会、委員会等で定期、臨時を問わない。)の構成員として出席する場合」を挙げていることが認められる。

4  当局側の組休不承認の理由

<証拠>を綜合すると、都城局においては組休を承認する権限を有するものは同局長であつたが、同局長は熊本郵政局人事部管理課から昭和三六年一一月二一日付で闘争委員会や闘争活動のための各種会議の構成員として出席する場合組休も年休も承認しないようにとの指示があつたので、昭和三六年一一月二四日同局各課長を集めて会議の結果、当時の同局における原告支部組合員の言動、態度等から同月二七日の原告支部委員会は闘争委員会であつて、当時同支部が同局において行つている行動はいわゆる職場闘争であり、右委員会はこれを激化させるための会と判断し、各課長に対し同委員会に出席のための年休、組休の請求を承認しないように指示し、その結果前記当事者間争ない年休、組休の不承認となつたものと認められる<証拠判断省略>。

5  右不承認に対する被告の判断

右の当局側の年休の不承認は、不当労働行為を構成するが、組休の不承認は然らずとする被告の判断は別紙命令書第2の1(一〇頁から一二頁六行目まで)のとおりである。

6  右の被告の判断の当否

(1)  被告の判断は、まず基本的には組休の制度は、年休と違つて単に就業規則のみに基づき使用者の許可によつて与えられるもので組合に対する便宜供与の一種であること、元来労働組合の存在や運営が使用者の便宜供与に依存することは決して好ましいものではないことを出発点とする。

このことは原理的には勿論正当な考え方には違いないが、同時に(イ)前記組休の制度は労働組合法第七条第三号但書、公共企業体等労働関係法第七条、人事院規則一七―二(特に昭和四三年一一月六日改正後の第六条)の精神からみて特に非難さるべき程度の便宜供与とはいえないこと、むしろいわゆる組休制度がないと原則として職員で組織されている職員団体(当時は、旧公労法第四条第三項の適用があつたときである。)の運営は実際問題として困難となり、職員に団結権を保障している法の趣旨から見て必ずしも適当とはいえない状態に至ることと、(ロ)かかる便宜供与を与えた以上その取扱いも公正に行わるべきものであること、むしろ便宜供与であればある程かかる便宜供与の運用を通じての支配介入の生ずる可能性があることを考慮すべきものと考える。

(2)  なお被告は年休は労働基準法に基づくものであるが、組休は単に就業規則に基くものに過ぎないことを強調している。

しかし<証拠>によれば、郵政省においては、年次有給休暇に関する協約により、毎年四月一日在籍者にはその者の労働基準法上の有給休暇の存否にかかわらず二〇日間の年休が与えられていることが認められるので、栗山光雄外四名の年休についての被告の判断にあるとおり(命令書一一頁)、「年休は法が労働者に認めた権利であつて」といい切れるかどうかはむしろ問題なのである(右五名の労働基準法上の年休請求権の有無については証拠調がなされていない。)。

仮に右五名の年休の請求が労働基準法に基くものでなく、前記協約に基くものであつたとしても、被告の判断が決定的に異つて来るものとは考えられない。蓋し労働基準法による年休の制度も前記労働協約によるそれも、休暇となつた日時を労働者がどのように使うかについて原則として考慮していない<証拠判断省略>点に被告の判断の基礎があると思われるからである(命令書一一頁参照)。

年休は労働基準法か協約かに基くものであるが、組休は就業規則に基くという両者の差異は、両者の不承認が不当労働行為を構成するかどうかの判断に当つては、特に決定的な差異をもたらすものではない。

年休又は組休の制度が法令、人事院規則、協約、就業規則の何れに規定されようとも、これらはいずれも個々の労働契約の内容を律することにより、その内容を限定する機能を果すことに変りはないからである。問題はその承認、不承認の運用が公正であるかにかかつているのである。

次に被告は「当時の労使関係のもとでは、当局が組休の許可を与えなかつたことをもつて不当労働行為としてその責任を問うことは適当ではない。」と判断する(命令書一二頁)。

そこで当時の都城局における労使関係を見る。

この点に関する別紙命令書第一、2、(1)(同三頁以下)の事実は、最後の熊本郵政局労働関係担当の職員の都城局における任務の点を除いて当事者間に争いがない。

<証拠>によると、全逓中央執行委員会は昭和三六年七月二九日指令第四号を発し、同年八月一日以降諸休暇、休憩、休息の完全消化、平常能率による業務遂行、安全衛生規則違反摘発、各種業務取扱い規定の遵守を指令したところ、都城局においては同年一〇月三一日郵便課員全員が現業室に掲げられてある作業手順どおり仕事をしなかつたため、これを命ずる業務命令が発せられ、また同年一一月一三日同課員において担務表について十分理解できない点があると主張し、ために全員に対し就業命令が出たりしたことがあつたこと、更に全逓中央委員会は昭和三六年一一月一五日指令第一〇号と「年末闘争における戦術の具体化について」と題する指導文書を発し、いわゆる昭和三六年々末闘争の中心目標を(イ)大巾増員による労働軽減と郵便物遅配解消、(ロ)組合案による仲裁々定の実施、(ハ)一方的職場指揮権の排除等として、組合の各級機関に対し諸休暇、休憩、休息の完全消化、平常能率の徹底、休憩時間中の職場大会の開催、時間外労働の拒否を指令したことが認められる。

<証拠>によると、都城局においては昭和三六年一一月一九日労働基準法第三六条による協定も期間満了により終了した状態となり、同日鶴賀郵便課長が勤務時間中の組合活動は許されないからと注意したところ、豊丸貞光が寝言はいわないなどと弥次つたり、同月二二日には職員が始業ベルの鳴るまで出勤簿に判を押さずに待機し、ベルと同時に一列に並んで逐次判を押して仕事に就くのを遅らせたりしたので、同課長はベルが鳴つたらすぐ作業にかかれるよう指示したところ、豊丸が課長のいうことは寝言ですから聞かなくともよいと大声でいつたり、隈元某がとぼけるな、馬鹿野郎と怒鳴つたり、同月二四日午後五時一二分頃会議室で職場大会を開き、都城局長の右会議室の使用を認めないから解散するようにとの指示に従わない状態が生じたことが認められる。

以上の事実によれば、「当時原告支部は遵法闘争などいわゆる職場闘争を活溌に行つた。」といつて差支えない。

(4)  以上の事実関係の下で当局が組休を不承認としたことを検討すると、次の点が注目される。

(イ) 全逓中央委員会の昭和三六年一一月一五日指令第一〇号は、それ自体としてはいわゆる遵法闘争を指令したもので、本件記録上はたやすく違法とまではいいえないものであること(<証拠判断省略>なお後記(二)参照)。

(ロ) 前記中央委員会の指令は代議員制度を通じて組合員の多数の承認を得て発出されたものと推認されること、更に<証拠>によれば、全逓においては、組合の各級機関は中央の指令を逸脱しないように活動する規約となつていることが認められ、従つて原告支部委員会も当然この指令の枠内でどの程度の活動をするかを決議するものと見るのが通常であつて、原告支部委員会のみが中央本部の統制をはずれて独走的に違法な決議をするものと予想すべき特段の事情は認められないこと(前述の活溌な職場闘争として認定した諸事例もあるが、かかる事例があつたからといつて、組合民主々義の原則から見て原告支部委員会が山猫的活動をするものと推認することは相当ではない。)。

(ハ) <証拠>によると、原告支部は都城市と北諸県郡内の職場に勤務する郵政省職員で組織され、その機関は大会、委員会、執行委員会の三種であつて、委員会は都城局選出の委員と同局以外の北諸県郡内の郵政省の各職場選出の委員合計二四名で構成され、年二回支部長がこれを招集するものと定められていることが認められること。

(ニ) 昭和三六年一一月二七日の原告支部委員会が定期大会であることは前認定のとおりであつて、<証拠>によつて認められるように、都城局以外の職場から選出された委員はすべて右委員会のための休暇を与えられたこと。

(ホ) 当局から右委員会のための組休を拒否されたものは原告支部長、同書記長、青年部長、執行委員であること(この事実は当事者間に争いがない。)。

(ヘ) <証拠>によると、当時九州地方における郵政省の各職場で定期の委員会出席のための組休が不承認となつた例がないことが認められ、<証拠>を綜合すると、組合の決議機関に出席する組合員について組休が拒否された例は全国的にもそう沢山はないものと認められること。

以上の事実が注目される。

(5)  このような諸点を考慮すると、「年休の不承認は不当労働行為を構成するが、組休の不承認は然らずとする」被告の判断は十分な説得力をもつものとはいいがたい。

当局は年休も組休も一律に同一理由で不承認にしたのであるから、むしろ組休の不承認も、前述の事態においては当局側において原告支部が当局側の好ましくないと考える組合活動を行うものと予想して、これに対する牽制手段としてなされたもの、すなわち組合の運営に対する支配介入行為と見るのが相当である。

(6)  前記組休の不承認を不当労働行為と見る以上、これに対し将来の保証のため適当な何らかの救済が与えらるべきが通常であつて、救済を与えることが「適当でない」とする特段の事情は認められない。

三団交の拒否について

1  当時の労使関係の概況

この点に関する別紙命令書第一、2、(1)(三、四頁)の事実は、最後の熊本郵政局の労働関係担当の職員の都城局における任務を除く外当事者間に争いがない。

原告支部の昭和三六年一〇月から同年一一月二四日までの活動状況は前認定の二、6、(3)のとおりである。

2  昭和三六年一〇月二五日申入の件<省略>

3  昭和三六年一〇月三〇日申入の件

原告支部が昭和三六年一〇月三〇日午前九時頃当局に対し郵便課外勤組合員の労働条件について、当日午前一〇時から団交を行ないたい旨申し入れたことは当事者間に争いがない。

<証拠>を綜合すると、昭和三六年一〇月二九日都城局郵便課外勤の職員である坂本洋は上司から一時間の超過勤務を命ぜられたが、同人が気分が悪いといつて断つたところ、三〇分でもという話しとなり、結局坂本はこれを了承して三〇分の超過勤務をしていたところ、矢張具合が悪く、病院へ行つた結果急性腎炎と判明し、同人はその翌日より欠勤をしたが、原告支部側は、当局が坂本に対し無理に超過勤務を強いたものとしたこと、同月三〇日朝九時頃原告支部の松永義春書記長が落合奈良春庶務会計課長に対し前記の団交申入をしたので、同課長は右申入が坂本に対する超勤命令のことであれば、苦情処理手続で処理すべき事項と思うが、しかし早急に解決したい意向であれば、今日中にでも職員の代表三名くらいと話し合いする旨回答したことが認められる。<証拠判断省略>

原告はこの点について右交渉事項の表現から見て右の交渉事項が単に一組合員の問題でないことは明白であるというが、前記団交申入のような抽象的な表現では、誰でも具体的にはどういうことか釈明するのが当然と思われることと、前記落合奈良春の供述記載によると、申入を受けた落合は坂本洋の件に関連しての交渉申入としか理解しなかつたところから見ると、松永の右申入に関する説明もそのような理解を与える程度のものであつたと認めるのが相当である。

右落合の回答は、坂本の件は苦情処理事項であるから、必ずしも直ちに団交をしなくてもよいという考えを前提とするものと考えられる。

原告は、組合が紛争解決の方策として苦情処理手続を選択せずに団交を申し入れることも自由であり、当局は苦情処理手続がある故をもつて団交を拒否することは許されないと主張する。

<証拠>を対比して見ると、原告主張のとおり、郵政省と全逓中央本部との苦情処理に関する協約では団交事項は苦情処理手続の対象とならないことを明らかにしているが、両者間の団交の方式及び手続に関する協約では交渉事項について特別の限定を加えていないことが認められる。

しかしながら、郵政省の現業の職場における団体交渉事項を抽象的に規定することは至難の業なのであるから、右のような両協約の対比から直ちに苦情処理手続の対象事項が団体交渉の対象となし得ないとする何らの根拠がないので組合がいずれを選ぶかはその自由であると形式的に結論づけることはできない。

<証拠>によると、郵政省における苦情処理の手続は、(イ)労働協約、就業規則の適用、(ロ)日常の労働条件に関係のある法令の適用、(ハ)日常の労働条件に影響のある規程、通達等の適用、(ニ)労働協約、就業規則、規程、通達等に規定されていない日常の労働条件に関する主として個人的な苦情を対象とするものであることが認められる。

この手続で最終的に解決されない事項は結局は団交で解決せらるべきものと考えられるから、苦情処理事項は団体交渉事項ではないとはいえないが、公共企業体等労働関係法第一二条の立法趣旨と事の軽重の面から見て、前記坂本洋に対する超過勤務命令がその時の事情から見て妥当であつたかどうかというような主として個人的な苦情はまず苦情処理手続によつて解決したいという落合課長の回答は不相当とはいえないものと考える。

しかもその上同課長は当日中にでも話し合つてよいというのであるから、ますます右回答が不相当とはいえないものと考えられる。

以上の事情においては、当局の態度をもつて、団交を不当に拒否したものと評価することは相当ではない。

4  昭和三六年一〇月三一日申入の件<省略>

5  昭和三六年一一月三〇日、一二月六日、同月八日(ただし、解雇関係に限る。)申入の件

(1)  原告は昭和三六年一一月三〇日当局に対し非常勤職員の解雇について団交を申入れたと主張するが、<証拠判断省略>結局原告の右主張事実を肯定できる十分な証拠がないという外はない。

(2)  昭和三六年二二月六日申入に関する命令書八頁(5)の事実と同月八日申入に関する同書八頁(6)の③の申入の事実および右申入に対する当局の回答のうち人事権に関する事項であるので団交には応じられないとの趣旨があつたことは当事者間に争いがない。

被告は右両申入に対する当局の回答は右申入事項を苦情処理手続によつて処理することに反対する趣旨ではなかつたものと認定し、これらについて当局の責任を追求するのは妥当ではないと判断する(命令書一三頁)。

原告は被告の右認定にはこれに副う証拠がないと主張する。

<証拠>によると、郵政省においては、郵便局の段階における団交の対象事項は労働基準法第二四条、第三六条の協定および団交の方式および手続に関する労働協約に基く交渉の手続に関する協定程度と考え、かかる団交事項以外の問題については苦情処理制度や事実上の「会見」、「話し合い」という方法で処理して行くことを指導していたことが認められるから、当時当局が団交は拒否するが、苦情処理手続にかけることには反対していなかつたものと認定することも相当である。

原告支部申入の前記交渉事項は共に臨時職員の解雇に関するものであることは当事者間に争いがない(もつとも<証拠>によると、当局は期間を定めて雇傭した職員の期間が満了したことにより雇傭関係が終了したという見解をとつていたことが認められる。)。

<証拠>によると、原告支部は右申入に先だち同年一一月三〇日右の解雇の理由を問いただしたことは認められるが、原告支部がこれ以上の要求例えば臨時職員の解雇基準の設定の要求などをしたかどうかを明確にできる証拠もないし、都城郵便局長がこれらの関係について交渉をし、協約を締結できる権限を付与されていることを肯定できる証拠もない。

従つて前記申入は抽象的には労働条件に関するか又は少くとも労働組合法第六条にいう「その他の事項」に該当するものであつても、具体的に当時の都城局長に協約締結を目標に交渉するのを拒否することが不当であると認めるに足りる事情が十分には出ていないという外はない。

その上、臨時職員の解雇の問題、又は少くとも雇傭期間が満了したかどうかの問題は被解雇者本人の問題でもあるから、当局がまず苦情処理手続が先行すべきものという態度をとつていたことが不当といえるかどうか問題であり、従つて「当局に対し不当労働行為の責任を追求することは妥当ではない」との被告の判断(命令書一三頁)が違法とまではいい切れないものと考える。

原告は解雇が不当労働行為と主張されている場合は苦情処理手続に達しないというが、郵政省における苦情処理手続に右のような限定があることを認めるに足りる証拠はない。

6  昭和三六年一二月八日申入の件(ただし命令書九頁④から⑦までの事項に限る。)<省略>

7  昭和三六年一二月八日勤務表についての申入の件

(1)  原告支部が同年一二月八日当局に対し服務表についてと題し団交を申入れたことは当事者間に争いがない。

<証拠>を総合すれば、右申入は都城局における郵便課(内勤)職員の服務表(昭和三六年一〇月二三日改正、同年一一月三日適用のもの)が同課員の勤務の実体に合わないこと、従前の服務表に比して休息時間が不明確となり、場合によつては休息できない虞があること、休息がとれなかつた場合の繰越しが認められなくなつたということで原告支部が申し入れたものと認められる。

(2)  <証拠>によると、郵政省の当局と全逓中央本部は昭和三三年四月一五日勤務時間及び週休日等に関する協約の付属覚書において、所属長は、(イ)勤務の種類、始業時刻、終業時刻、(ロ)休憩時間、休息時間を設ける各方法などについて服務表を定め、これを関係職員に実施の一週間前に周知することを協定し、郵政省は同年五月二四日郵政省公達第四九号郵政事業職員勤務時間、休憩、休日および休暇規定の二五条において、所属長が始業、終業の各時刻、休憩、休息の各時間を設ける方法などについて服務表を定め、これをその実施の一週間前までに関係職員に周知させるべきことを定めたことが認められる。

また<証拠>を綜合してみると、郵政省当局は全逓本部に対し、所属長が右の関係職員に対する周知の措置をとる二、三日前に当該局所の組合の組織に右服務表を内示するよう指導する旨回答したことが認められる。

(3)  次に<証拠>によると、都城局は前記一一月三日適用の服務表について原告支部と話し合つてこれを施行したこと、昭和三六年一二月八日の前記団交申入に対し落合庶務会計課長は団交事項ではないが話し合いはすると答えたことが認められる。

しかし一般的にいえば、郵政局における職員の休憩、休息の時間、週休日に関する事項が団交事項であることは公共企業体等労働関係法第八条第一号に徴し明白であり、またこれらの事項について郵政省と全逓中央本部が昭和三三年四月一五日労働協約を締結した事実から見ても当然のように思われる。

そして右が団交事項であり、かつ、前掲服務表の改正は都城局の郵政課(内勤)職員の共通の労働条件に関するものであつて、「主として個人的な苦情」ということはできないから、右申入事項は苦情処理手続によるのが相当な事項とは解し得ない(郵政省と全逓との間の苦情処理に関する協約第九条は団交事項は苦情処理事項でないことを前提とし、同第一条第二項は右協約にいう苦情は主として個人を主体とするものをいうとしている。)。

(5)  前掲昭和三三年四月一五日の労働協約付属覚書において全逓中央本部が服務表は所属長が定めることを承認したことは、所属長がどのような内容の服務表を作成しても組合はこれに対して団交を申し入れないと約したことを意味するものでないと解するのが通常であつて、むしろ郵政省当局が全逓中央本部に対し服務表の周知措置をとる二、三日前に服務表を当該局所の組合組織に内示することを回答したのは、当該組織に服務表について折衝をする機会を与える趣旨と解せられる。

参加人は乙第二六号証(被告の審問手続における最終準備書面)において、前掲協約覚書によつて、服務表の作成は所属長の専決事項とされたものと主張するが、全逓中央本部又は原告支部が服務表の作成について団体交渉をする権能を放棄したと認めるに足りる証拠はない。

(6)  服務表の作成は所属長の権限であるから、前記服務表に関する交渉には所属長又はその交渉委員が当ることが最も適当と考えられる。更に休息や休憩時間の問題は、法令、郵政省内の各種規程等の範囲内で、これらの者がその職場に最も適当な条件を案出できるものと推認される。

参加人は被告の審問手続における準備書面において国家行政組織法上協約締結権は郵政大臣に専属し、郵政大臣はかかる事項についての協約締結権を他に委任していないというが、事の軽重の面から見て、郵政大臣は各郵便局の職員の服務特に休憩時間の如き事項について事実行為としての団交のようなことはそれぞれの機関に委ねているものと見るのが通常である。

郵政省と全逓との団体交渉の方式および手続に関する協約第一条によると、郵便局においては、その管理者と全逓支部との間に団交を持つことに定められ、前掲昭和三三年四月一五日の労働協約付属覚書では服務表の作成は所属長(郵便局長)の権限とすることに定められているから、服務表についての団交も所属長に委ねられているものと見るのが筋合である。

<証拠>によると前記団体交渉の方式及び手続に関する協約に基く団交は所属長の権限内の事項であれば可能とし、<証拠>によると、都城局の当局側の交渉委員は局長神田三蔵、落合、鶴賀両課長外四名であつたことが認められる。

次に<証拠>によると、郵政省においては行政組織上の職務権限、交渉権限、協約締結権限の三つを峻別しており、当時郵便局長には、労働基準法第二四条、第三六条に関する協定と団交手続以外の事項について協約締結権限を与えられていないものとされている。

右の交渉委員に協約締結権限がないとしても、交渉権限はある以上、交渉の上合意した事項は協約締結権者に対して協約にすることを求める意思で団交に応じなければ、不当労働行為と認めるべきは後述のとおりである。

(7)  前認定のとおり、郵政省の各職場において当局と組合との間に労働条件について「会見」、「話し合い」が現実に行われていることは、郵政省職員の労働条件の大部分は法令その他によつて全国的に統一されているが、矢張りそれぞれの職場のもつ具体的状況に応じて労働条件を肌埋こまかく決定して行くことが必要なことを示しているものという外はない。

郵政省の各職場の当局は話し合いに応じて合意した事項は実施できる権限を有しているか又は少くともその実施についてある程度目安の立つ限度で話し合いに応じているものと理解される。

このように法令その他の枠内で郵政省の各職場の当局が対応する労働組合の組織と話し合いの上合意した事項が労働協約となつては、国家的見地から望ましくないとする特別の事情は見当らないのである。

(8)  前掲落合庶務会計課長の回答は団交には応じないが話し合いには応ずるというのである。当局が話し合いに応ずるという以上もとよりその話し合いで定まつた事項を遵守する意思であつたと推認すべきではあるが、団交はこれを拒否するという以上、右の合意について書面を作成して労働協約とする意思がなかつたものというべきは当然である。

(9)  当時都城局当局において服務表について、話し合いの上合意した場合に協約とすることを求める意思がなく話し合いに臨むことを正当とするような特段の事情は認められないので、右の当局の態度が正当であるとはいえないものと考えられる。すなわち話し合いは紛争解決の一手段ではあるが、単に話し合いである以上、その相手方は何も労働組合でなければならないことはないし、その間にまとまつた合意は単に話し合いの相手方に対し道義的に守る義務があるだけであつて結局は使用者が労働条件を一方的に決定して行くに際しその反省の縁となる機能をはたすに過ぎないが、団交は労働組合の団結を背景に使用者の労働条件の一方的決定に対し労使双方の合意により労働協約の持つ直律強行性を通じて個々の組合員の契約内容を規律して行くことを目的とするものである。従つて団交事項について話し合いの意向はあるが、協約を締結する意思がないというのは右の意味において団結権の軽視につながるものであつて、妥当な態度ということはできない。

なお、都城局の交渉委員に協約締結権がないとしても、交渉権限がある以上合意した場合はこれを協約とする努力をすべきことは当然であつて、かかる努力をすることを始めから放棄して団交には応じないというのは前説明と同じ理由で不当といわなければならない。

この点についての被告の判断は命令書一三頁以下にあるとおり「服務表は勤務時間及び週休日等に関する協約付属覚書により所属長が定めることとされているから、これについて当局が交渉には応じられないが話し合いには応ずると答えたのも不当とはいえない」というのである。

この判断は、協約で所属長の権限と定められていることが何故に団交拒否の正当理由となるのかという点についての説明が十分でないので、これを支持することができない。

(10)  以上のとおり昭和三六年一二月八日服務表に関して原告支部が申し入れた団交を当局が拒否したことについては、正当の理由がないというべきであるから、当局の右態度は不当労働行為というべきである。

8  昭和三六年一二月八日バレーコートに関する申入の件

原告支部が当局に対し右に記載のとおり団交を申し入れたことは当事者間に争いがない。

<証拠>によると、当時都城局の裏側に平常バレーコートとして使用できるよう施設がしてあつたところ、当局は同年末に右施設を徹去して局舎を造るということであつたので、原告支部はリクリエーシヨン施設に関するものとして右のとおり団交を申し入れたものと認められる。

<証拠>によると、当局は右団交申入に対して話し合いには応ずる態度であつたと認められる。

本件に現われた全証拠によつても認定できるのは以上の事実に尽きるのであつて、局舎の建設という問題は通常は当局の管理運営に関する事項であるから、単に以上の事実だけからでは、当局の態度が不当労働行為を構成するかどうか判断がつかない。

従つて右申入に対する当局の態度が不当労働行為を構成しないという被告の判断が違法とはいい得ない。

9  昭和三六年一二月一一日申入の件<省略>

10  昭和三六年一二月一二日申入の件<省略>

11  昭和三六年一二月一三日申入の件<省略>

12  昭和三六年一二月一四日申入の件<省略>

四むすび

以上のとおり、被告の別紙命令中、被告が(イ)当局が原告支部長安楽長信外三名の組休の請求を承認しなかつたことと(ロ)当局が昭和三六年一二月八日服務表についての団交申入に対し団交を拒否したことは不当労働行為を構成しないとして、この点に関する原告の救済申立を棄却した部分は違法であるから、これを取消すべきであるが、その余の被告の右命令は違法とはいえないから、この点に関する原告の請求を棄却すべきものである。

よつて訴訟費用の負担について、民事訴訟法第八九条第九二条を適用し主文のとおり判決する。(大塚正夫 沖野威 大前和俊)

<参考>

命令書

申立人

全逓信労働組合

都城市北諸県郡支部支部長

永野一満

被申立人

都城郵便局長

日高重

上記当事者間の昭和三七年(不)第一号事件につき、当委員会は、昭和四〇年三月二日開催された第一七六回公益委員会議において、会長公益委員兼子一、公益委員峯村光郎、同石川吉右衛門、同飼手真吾及び同金子美雄合議の上、次のとおり命令する。

主文

一 被申立人は、本命令交付の日から七日以内に、下記内容の文書を申立人に交付しなければならない。

都城郵便局長は、貴組合の組合員が第二四回支部委員会に出席するため年次有給休暇を請求したのにこれを認めず、もつて貴組合の運営に介入したことについて、ここに、遺憾の意を表わすとともに、今後このような行為を繰り返さないことを約する。

昭和  年  月  日

全逓信労働組合都城市北諸県郡支部

支部長 永野一満殿

都城郵便局長 日高重

二 申立人のその余の申立ては、棄却する。

理由

第一当委員会の認定した事実

一 申立事実

申立組合は、その組合員が、昭和三六年一一月二七日開催予定の第二四回支部委員会に出席するため被申立人に対して、年次有給休暇(以下「年休」という。)及び組合休暇(以下「組休」という。)を請求したところ、被申立人が、これを承認しなかつたこと並びに申立組合が、同年一〇月二五日から一二月一四日までの間一一回にわたつて団体交渉を申し入れたのに対し、被申立人がこれを拒否したことは、労働組合法第七条第三号及び第二号の規定に該当する不当労働行為であると主張して本件申立てを行ない、これに対し、被申立人は申立てを棄却すべきことを求めた。

二 当時の労使関係の概況

(1) 昭和三六年、郵便物の滞留遅配の状況が全国的にみられたので、郵政省はその原因を調査するため郵便業務の運行が不良と認められる郵便局を全国で四一局を選び、郵便業務運行特別考査を実施した。九州では都城郵便局を含む五局が特別考査実施の対象局とされ、同局においては、同年九月一一日から一四日までの間、熊本郵政監察官による特別考査が行なわれた。その結果、熊本郵政監察官は、都城郵便局における郵便遅配の原因の一部は同局の労使慣行等が管理権を侵害していること及び職場規律がみだれていることにあることを指摘し、被申立人に対してこれを改善するよう勧告した。この勧告をうけた被申立人は、一〇月二三日文書をもつて時間外労働及び休日労働に関する協定に関する了解事項等四〇数項目の覚書、確認書等を破棄する旨申立組合に通告した。熊本郵政局は都城郵便局の業務を指導するため、同年一〇月下旬から翌年一月上旬までの間、同郵政局の労働関係担当の職員を都城郵便局に派遣して業務の指導にあたらせた。

(2) 当時、全逓信労働組合は、大巾増員による労働軽減と郵便遅配解消、組合案による仲裁裁定の実施等を中心目標としていわゆる昭和三六年年末闘争を組み、諸休暇・休憩・休息の完全消化、平常能率の徹底、休憩時間中の職場大会の開催、時間外労働拒否等を指令していた。これらの指令をうけて申立組合は、順法闘争等いわゆる職場闘争を活発に行なつた。

三 支配介入について

(1) 申立組合は、昭和三六年一一月二〇日付で一一月二七日午前八時半から第二四回支部委員会を開催すること、その議題は年末闘争方針案等であることを告示した。支部委員会は、二四名の委員で構成され、大会に次ぐ決議機関であって毎年二回定期的に開催されるものである。

都城郵便局長神田三蔵は、一一月二四日、この支部委員会は、闘争を激化させるためのものであるから、職員がこれに出席するために年休又は組休を請求した場合には、各課長はこれを認めないよう指示した。

(2)イ 一一月二四日午後支部委員会の委員栗山光雄及び桑田金泰の両名は、一一月二七日の年休の請求書を提出したところ、所属課長は、支部委員会出席のためのものであることを確めて、年休を承認しなかつた。

ロ 翌二五日支部委員会の委員藤田正雄及び蓑原重夫並びに組合員今村征誠が、一一月二七日の年休の請求書を提出したところ、それぞれ所属課長は、後日支部委員会に出席したことが判明したときは年休を取り消す旨を述べて、これを承認した。

ハ 一一月二四日申立組合支部長安楽長信、書記長松永義春、青年部長永窪芳照及び執行委員岩元秀利が一一月二七日の組休の付与願を提出したところ、それぞれ所属課長は、闘争期間中は承認できない旨を組休付与願に記載してこれを承認しなかつた。

組休は、郵政省就業規則第二八条以下の規定により、職員が組合の業務を行なう場合、所属長の許可を受けたときに与えられる休暇であり、その間、職員は俸給及び暫定勤務地手当を支給されないものである。

ニ 申立組合は、以上の外、数名の者が年休又は組休をそれぞれ所属課長に請求したところ承認されなかつたと主張しているが、そのような事実は明らかでない。

ホ このようにして、支部委員会を予定どおり開催することが困難となり、申立組合は、これを延期して一二月五日の午後五時から委員会を開催することとした。

四 団体交渉拒否について

(1) 被申立人は、昭和三六年一〇月二三日に覚書、確認書等の破棄通告を行なつたことは先に認定したとおりであるが、これに対し、申立組合は、一〇月二五日、被申立人に対して、団体交渉を申し入れた。被申立人は、破棄通告は上局の指示により行なつたものであること及び現在は上局の特別考査中で混雑した状態であるので一〇月二七日以降に話し含いたい旨答えたが、申立組合は、これを了承せずもの別れとなつた。

(2) 申立組合は、一〇月三〇日午前九時ごろ被申立人に対して、郵便課外勤組合員の労働条件について、当日午前一〇時から団体交渉を行ないたい旨申し入れたところ、被申立人は、交渉申入れが郵便外務臨時雇坂本洋に対する超勤命令のことであれば苦情処理として処理すべきものと考えること並びに早急に解決したい意向であれば職員の代表三名以内との話し合いなら今日でも行なつてよい旨答えたが、申立組合は、団体交渉を要求した。

(3) 申立組合は、一〇月三一日被申立人に対して、①郵便外勤樋口某の労働条件について及び②強制労働排除について団体交渉を申し入れた。この申入れは、郵便課樋口某が病弱なため、前から話し合いで平坦地の多いところに勤務していたが一方的に市外地の坂の多いところに担務替えになつたこと、また、被申立人が一〇月二三日以来、病気休暇中の者を自宅に訪問し、病状の調査を行なつて強制労働を強いたということに関するものであつた。これに対して被申立人は、①については担務変更は所属長の権限で行なうものであつて団体交渉事項とは認められないので交渉に応じがたい旨、②について具体的事実が示されていないが当方においては、法令に違反する強制労働の事実はないと考えるので団体交渉には応じがたい旨答えたが、同時にいずれも話し合いには応じる旨付言した。

(4) 申立組合は、一一月三〇日被申立人に対して非常勤職員の解雇について団体交渉を申し入れたと主張するが、申立組合が、同日付で解雇された二名の非常勤職員についてその解雇理由を被申立人に質した事実は認められるが、団体交渉の申し入れが行なわれたものとは認められない。

(5) 申立組合は、一二月六日被申立人に対して組合員の不当解雇について団体交渉を申し入れたところ被申立人は、交渉申入れ事項は人事権に関することであり、交渉には応じられない旨答えた。

(6) 申立組合は、一二月八日被申立人に対して、①服務表について、②バレーコートについて、③昭和三六年一一月三〇日及び昭和三六年一二月一日付け臨時雇郵便課勤務外務員今井、田島、栗山、月野の四名の解雇について、④支部団体交渉について、⑤山之口局賃金未払について、⑥志和池局賃金未払について及び⑦山之口局非常勤者賃金について団体交渉を申し入れた。

被申立人は、①については、服務表に関する事項は団体交渉事項ではないが意見は聞く旨、②については、来年一月中に仮設事務室を撤去する旨、③については、人事権に属するものであるので団体交渉には応じられない旨答えた。④から⑦までについては検討して返事する旨答えたが、その後一二月一一日に組合の掲示板に掲示されていた指令第一二号をみて、このような状態では交渉に応じられないので平和になるまで待つてもらいたい旨回答した。

(7) 申立組合は、一二月一一日被申立人に対して食堂の暖房について団体交渉を申し入れたところ、被申立人は、これは火鉢をふやすことでよくはないかと答えた。

(8) 申立組合は、一二月一二日被申立人に対して①暖房清掃について及び②厚生施設について団体交渉を申し入れたところ、被申立人は、闘争期間中であるし集団交渉になりかねないので一二月一五日以降に話し合いに応ずる旨答えた。

(9) 申立組合は、一二月一三日被申立人に対して郵便外務者の茶代について団体交渉を申し入れたところ、被申立人は、これは交渉事項とは思えないし、職員同志が茶代を出し合つて飲んでいるということではないかと答えた。

(10) 申立組合は、一二月一四日被申立人に対して郵便外勤の市外休息所について団体交渉を申し入れたところ、被申立人は話合いは闘争が終つてからにしたい旨答えた。

第二当委員会の判断

一 被申立人は、昭和三六年一一月二七日の支部委員会のための年休及び組休の請求に対し、不承認又は条件付承認の措置をとつたのは、申立組合が違法な職場闘争を行なつていたので、このような状況下において開催される支部委員会はこの闘争をさらに激化させるためのものであると判断したためであると主張する。

しかしながら、年休は、法が労働者に認めた権利であつて、被申立人としては、労働者が年休をとつて出席する支部委員会で違法な職場闘争を審議するであろうからとか、あるいはその当時当該組合が違法な職場闘争を行なつているというようなことを理由として、法の定める年休を拒みうる筋合のものではない。

被申立人は、当該年休の請求が支部委員会出席のためであることを確かめてそれを理由として承認を拒否し、あるいは支部委員会に出席したならば取り消す旨の条件をつけて承認して実質的にはこれを拒否したものであつて、これら不承認の措置は、いづれも一一月二七日の業務の都合を理由とするものではない。

結局、被申立人が申立組合の組合員の年休請求について、それが支部委員会出席のためであることを理由に、その承認を拒否し、支部委員会出席を困難ならしめたものであり、労働組合法第七条第三号の規定に該当する不当労働行為である。

つぎに、被申立人が組休の許可を与えなかつた理由は年休の場合と同じである。しかしながら、この就業規則に基づいて使用者の許可によつて与えられる組休の制度は、もともと申立組合の組合活動に対して特別の便宜を図るものである点において、年休の制度とはその趣旨を異にするから、前記のような事実関係のもとにおいて被申立人が組休の許可を与えなかつたことをもつて、不当労働行為としてその責任を問うことは適当でない。

2 申立組合は、昭和三六年一〇月二五日、三〇日及び三一日並びに一二月六日、八日、一一日、一二日、一三日及び一四日の九日間に一七の事項について被申立人に団体交渉を申し入れた。

当時の都城郵便局の状況は、第一・二・(1)及び(2)で認定したとおりであるが、このような状況も考慮しつつ、これら申立組合の団体交渉申入れに対する被申立人の行為が不当労働行為となるかどうかについて判断する。

一〇月二五日の団体交渉申入れに対して、被申立人が二日後の二七日以降に話し合いたいと答えたのはさして不当とは思われない。また、一二月八日の④から⑦までに関する申入れ並びに同月一二日及び一四日の申入れに対して、被申立人が集団交渉になりかねないので闘争状態が終るまで待つてもらいたい旨答えたのも、その当時の状況と当該交渉申入れ事項の性質をあわせ考えれば被申立人の行為をもつて、正当な理由のない団体交渉拒否であるということはできない。

つぎに、一〇月三〇日の申入れに対して、被申立人が苦情処理手続により解決したい旨回答しているのは、苦情処理に関する協約の内容に照らし、もつともであると考えられる。また、一二月六日の申入れ及び一二月八日の③に関する申入れに対しては、被申立人は、当該申入れ事項が人事権に関するものであるから交渉には応じられないと答えているが、その趣旨は、苦情処理手続による処理には反対していなかつたものと認められるので、これらについて被申立人の責任を追及することは妥当でない。

一〇月三一日の申入れ事項は、個々の労働者の労働条件に関する具体的な苦情に関するものであつて、これについて被申立人が団体交渉には応じられないが話し合いには応じると答えたのは、不当とはいえない。一二月八日の申入れについては、服務表は勤務時間及び週休等に関する協約付属覚書により所属長が定めることとされているものであるから、これについて被申立人が交渉には応じられないが話し合いには応じると答えたのも不当とはいえない。

最後に一二月八日の②に関する申入れ、一二月一一日の申入れ及び一二月一三日の申入れに対する被申立人の答えは、いわゆる職場要求に対してその場で回答したものであつて団体交渉を拒否したというにあたらないと考える。

しかも、申立組合は、以上のような一七の項目について、つぎつぎに被申立人に団体交渉を申し入れておきながら、それらに対する被申立人の回答に対してその場ではこれに反対し抗議する姿勢を示しているが、その後さらに同一事項について再度団体交渉を申し入れたという事実も認められない。

以上要するに被申立人の上記の行為は、労働組合法第七条第二号に規定する不当労働行為に該当しないというべきである。

3 申立組合は、陳謝分の交付のほか、その指定する新聞に謝罪広告を行なうことを求めているが、本件については主文のとおりの命令をもつて足るものと認める。

よつて当委員会は、公共企業体等労働関係法第二五条の五第一項及び第二項並びに公共企業体等労働委員会規則第三四条を適用して、主文のとおり命令する。

昭和四〇年三月  日

公共企業体等労働委員会

会長 兼子一

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例